Archive for category 2.益子焼・陶芸
高橋 義直 陶芸家
Takahashi Yoshinao
氷裂釉の美しさを追求して。
高橋 義直 略歴
1967年 茨城県玉里村に生まれる
1996年 株式会社 向山窯勤務
2001年 茨城県窯業指導所研修Ⅰ科
2002年 荒田耕治氏に師事
2003年 茨城県美術展入選、以降毎年入選
2005年 茨城県小美玉市にて築窯・独立
石崎 麗 陶芸家
Ishizaki Urara
伝統・そして・それから
石崎 麗 略歴
1976年、千葉県生まれ
日本の大学でインダストリアル・デザインを学んだ後、
イギリスの大学にてガラスと陶芸を1年間学ぶ。
帰国後益子に移り住み、製陶所ゆみ陶にて3年間就業、
栃木県窯業技術支援センターにて益子焼を学び、
矢津田義則氏に師事し、2005年独立。
益子の陶芸アトリエに併設した陶器・紅茶・雑貨
のお店カフェギャラリーteteを立ち上げる。
オフイシャルサイト http://tete.otonotakumi.co.jp/
↑zoom↑
独立まで
学生時代はインダストリアルデザインを専攻。しかし進むにつれ、商業的な「生産・コスト」などの効率を重視するデザイン、全体の一部でしかないデザインに違和感を感じ始めます。
デザインからつくり上げるまで、全て自分の手でできたら。
その後イギリスに渡り、大学でガラスと陶芸を学びました。
スピードが必要とされるガラスに対し、時間をかけ、 自分のペースでつくる事ができる、そして自分自身が日本人であることを再認識し、 日本の伝統のある陶芸を日本で目指すことに。
帰国後、益子に移り住み、製陶所に入所。
ここで大勢のスタッフと共に制作、窯焚き、出荷まで全ての工程をこなしながら修行を続けました。
もう少し自分自身の技術を磨きたい、憧れのティーポットや 急須を作れるようになりたい。
= ティーポットや急須は、胴・蓋・注ぎ口・取っ手の組み合わせ、各部の成形、接合など技術を要します =
そしてしっかりとした技術と知識を学ぶ為に、 栃木県窯業技術支援センターに入学。
伝統的な益子焼きを学びながら、独自のカリキュラムを組み、陶芸に励みました。
センターに入るまでは益子以外の原料で制作してきた為、益子の伝統的な土や釉薬で茶器や釉薬を制作してみると、 とても新鮮で改めて魅力を感じました。
作陶
伝統的なものに惹かれます。
旅が好きで日本は勿論、たくさんの国を訪れてきました。
それぞれの国の土地に根付いている伝統や文化、食や技術、工芸品から建築、絵画など、いろいろなものに刺激を受け、そして敬意を感じます。
制作にあたっては、益子の土と伝統釉を使いながら、 伝統をふまえつつも益子焼という枠にはとらわれず、
古さと新しさ、和でありながら洋であるもの、日常的に使える器。
= そんなものを目指しています。
ティーポット
陶器のティーポットは重いというイメージがありますが、 ポットはお湯をたっぷり入れて使うので、 できるだけ軽くなるように意識しています。
紅茶をおいしくいれるためには、茶葉が充分にジャンピング (茶葉がお湯の対流に乗り、ポットの中で浮かんだり沈んだりすること) が大切です。
【形】
ティーポットの形は丸みを持たせ、ジャンピングのしやすい形。 そしてジャンピングの邪魔をしない様、中に茶こしは付けていません。
茶葉がつまらず、注ぎやすい、注ぎ口の形状、口径。
注ぎ口の先端は水切れが良いようにしています。
【蓋】
蓋は胴に入る部分を深くしている為、 片手で注いでも蓋がずれ落ちません。
また、蓋と胴は歪みが出ないように蓋をした状態で焼成する為、 蓋と胴がくっつかぬよう、少し遊びを持たせています。
【釉】
胴や蓋の内部は茶渋のつきにくい釉薬をかけて、長く使っていただけるよう汚れにくくしています。
お客さまに向けて
器達が手に取ってくださった方々の元で、
しっかり働いてかわいがってもらえればと考えながら、
日々作陶しています。
↑zoom↑静かな工房
↑zoom↑イメージを形に
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胴は白いつや消し釉薬、蓋は焼締です。異なる風合いを、ひとつの器で楽しめます。縦長のめずらしいデザインです。
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こちらは、黒いややつやのある鉄の釉薬です。胴にある丸いパッチワークのような模様がなごみます。
石岡 信之 陶芸家
Ishioka Nobuyuki
カラーを決めずに、お客さまに喜ばれるものづくりがしたい
石岡 信之 略歴
1978年、山形県生まれ
大学卒業後、若林健吾氏に師事
2005年、益子町に築窯、独立
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自分の手になるものを
小さいころから、ものづくりが好きでしたし、やきものにも興味をもっていました。
叔父が陶芸に関わっていたからかもしれません。
大学に入ってからも、会社に就職することは考えませんでした。自分の手になるもので食べていきたいと思っていました。
求めるものは違うなと。
益子は、大学4年の夏に初めて訪れました。
実家に近いということもあるのですが、来る者を受け入れてくれる環境があるなと感じ、卒業前の冬に再訪しました。
偶然一枚の窯元の募集チラシが目にとまり、面接を受け、若林健吾氏(以下「親方」)のもとで修行をすることになりました。
親方は気さくな方で、自由にものづくりに取り組むことができました。
5年ほどここで仕事をしながら、 親方の力も借りて陶器市などで出品をしていましたが、物心両面で一からやってみたくなり独立しました。
益子での作陶
益子では、同僚に恵まれています。
作陶を仕事とするのは、好きなだけではなかなか難しいです。
簡単には思ったように作れるわけではありませんし、思ったようにできても、お客さまに必ず気に入っていただけるというものではないからです。
自分のこだわりとのバランスを大事にしたいと考えています。
いつもというわけではありませんが、同僚作家とはひとたび「やきもの」の話になると真剣になります。この釉薬がどうとか、あの土はこうだとか。
皆試行錯誤しているのが良くわかり、勉強になります。
益子では作陶につながることを意識し、陶芸教室講師をしながら、お客さまの生の声を聞いたりして刺激を受けています。
作陶は、広く見て自分なりに取捨選択しながら、いろんなことにチャレンジしていきたいと考えています。
そういう意味でも益子は環境が整っています。
陶器のネット販売について
アパレル業者が3Dグラフィックによるバーチャルな街を作って、ネット販売していくニュースを見ました。
三次元化した商品画像を、さまざまな角度から見ていただけるようにして、的確に情報伝達するということです。
陶器も、ネット販売では伝えにくい面があるので、このような手段でお客さまに近づけたら。
ネット販売は、技術進歩とともに可能性がたくさんあるのではないかと思います。
↑zoom↑集中
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土から形が生まれました
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ポッコリとしたカップです。容量はたっぷりですが軽量なので、紅茶やスープカップとして使いやすいです。しっかりと焼締め、釉薬にチタンを配合し、粉引などより高い耐久性があります。
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三種、五種とオードブルを盛り付けてオシャレですし、焼き魚・煮魚の油や醤油もOKです。こちらもチタンを配合した釉薬で、白くても汚れにくいです。サイズのわりに軽く、洗いもラクです。
●ホームページへ ▲ページ先頭へ
益子や てんちょう から
石岡さんはオフロードバイクに乗り、工房のある益子から、笠間焼で有名な茨城県笠間市方面に抜ける林道を走るのがお気に入りだそうです。紅葉の美しさが格別ということでした。
既成の考えにとらわれずいろいろなカラーを見つけて、着実に器づくりに取り組む。
そんな姿とだぶって見えてくるようで、少しまぶしいです。
落合 杜寿子 陶芸家
Ochiai Toshiko
技と自然の織り成す美しさを
落合 杜寿子 略歴
1954年 東京駒込に生まれる
1977年 武蔵野美術大学卒業(陶磁器専攻)
1977年 目白陶幻倶楽部勤務
1978年 成井立歩先生に師事
成井恒雄先生に師事
1979年 益子町に築窯・独立
【展示会出品】
伝統工芸新作展、伝統工芸武蔵野展、
クラフト展、亜細亜現代美術展、栃木女性百人展等
【個展】
渋谷東急本店、日本橋東急、
益子・やまに大塚、益子・壺々炉、笠間・きらら館
【二人展・グループ展】
銀座松屋、吉祥寺近鉄、つかもと作家館ギャラリー、びんろう、
ヤマハギャラリー、ギャラリー小川、大日山美術館等
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窯とともに
益子町中心部から北東にある落合さんの工房を訪ねました。
窯の設置に都合よく、窯の煙が隣家に影響しないように考慮された、小高い丘の傾斜地にあります。
そこには登り窯、穴窯、丸窯、錦窯、炭窯、角型窯と大小6つの薪窯が据えられています。
落合さんは、蹴ロクロで成形し、メロン灰や梨の灰・トマト灰・卵の殻・シジミ・アサリ等、自然の灰から作った釉薬を使い、薪の炎で作陶を続けています。
窯は、数百束もの薪を使って焚きます。
窯焚きは、登り窯はあぶりを入れ4日、穴窯では5日から6日ほど焚きこみます。
登り窯で焼成した作品を、穴窯に詰め再度焚きこみます。窯変を狙って塩を50kgほど投げ込んだり、炭を入れたりします。
炎が絵を描いているようです。
窯変を楽しむ
塩釉作品を焚く窯の内部を見せていただきました。
その内壁レンガは、緑とも青ともつかない黒っぽい虹色のような艶をもって輝いていました。
食塩蒸気がもたらす陶器の美しさと、窯のレンガをも変化させる性質が、表裏一体の力であることを実感します。
落合さんは、技と自然の織り成す意外性を、意図する狙いから取り出す。窯変する作陶を楽しんでおられるようです。
照葉樹や広葉樹の林がぐるりとめぐり、少し下ったところには小さな沢があって、初夏には水芭蕉が咲くという工房の環境は、ものづくりのインスピレーションと、絶えることのない作陶の合間のひとときを補うものではないかと感じました。
お客さまに向けて
~ 落合 杜寿子メッセージ ~
薪窯にこだわり26年。
同じ作品はふたつとありません。
季節・湿度・風などの自然現象により、焼き上がりが違います。
一瞬一瞬の美しさを形に出来ればと思い作陶しています。
大地と炎の作品をお楽しみいただければ幸いです。
↑zoom↑炎や、気象状態などを見ながら、じっくりと焚きこみます。
↑zoom↑灼熱の窯から立ち上る、美しい炎。 薪をひとくべごとに釉が溶け始め変化していきます。
窯変クライマックス!
↑zoom↑窯変による鮮やかな緋色とグレーの色合いが素敵な徳利とぐい飲みです。側面貝高台の模様が、一品ものを印象付けます。
↑zoom↑筒描きした作品に、梨の灰による釉薬をかけたフリーカップ&ソーサーです。梨釉ならではの色合いと、珍しい形のソーサで独特の存在感があります。
後藤 茂夫 陶芸家
Goto Shigeo
ひとつひとつじっくりと時間をかけて焚き上げます
第6回(2006年) 益子陶芸展 審査員特別賞
飴釉大皿
獅子吼窯 後藤 茂夫 略歴
1950年 栃木県那須町に生まれる
1969年 栃木県窯業指導所入所
1970年 安田猛氏に学ぶ
1972年 益子町にて独立・築窯
1974年 益子町共販センターにて個展
1976年~ 池袋東武百貨店にて個展(15回)
1979年~ 割烹舌鼓にて個展(12回)
1982年 名古屋三越にて三人展
1984年~ 松屋銀座にて個展(8回)
1989年~ 川崎陶苑ふじたにて個展(8回)
1996年~ ギャラリー橋本屋にて個展(4回)
柏高島屋、柏そごうにて個展
栃木県立美術館主催 現況展出品
その他東京、宇都宮、仙台などで個展・グループ展
伝統工芸新作展入選
伝統工芸武蔵野展入選
北関東美術展入選
日本陶芸展入選
益子陶芸展入選
益子陶芸展審査委員特別賞
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ゆっくりと時間をかけて納得の行く作品を仕上げる。
丁寧で、 しっかりとした後藤さんの飴釉作品は、2006年度益子陶芸展で審査員特別賞を受賞されました。
伊藤 剛俊 陶芸家
Itou Taketoshi
調和を求めて
伊藤 剛俊 略歴
1981年、埼玉県生まれ
益子の製陶所にて修行
2006年、益子で独立
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建築から陶芸へ
建築を学ぼうと大学に入りましたが、建築は対象の規模が大きすぎ、もっと身近で、自分の手で作れるものを学びたいと思いました。
大学に通いながら、次第に家にある器への関心が強くなり、料理を作るのも好きだったので、 いくつかの窯場を訪れるようになりました。
しかし、窯元の世襲制があったり、弟子を取らない作家だったりで、条件に合うところが見つかりませんでした。
そんなとき、縁あって益子の製陶所に入ることができました。
ここでは4年ほど集中してロクロを引き、思った形が存分に作れるようになりましたので、自由に作陶するため独立しました。
製陶所では益子の伝統的なものを中心に制作しました。
益子の土もおもしろいのですが、独立してからは白い器が作りたくなり、イメージを形にするため、今は磁器土を使うことが多くなりました。
紋様の作品
白地の器に赤絵を施していたら、紋様のバランスがすごく難しく、思い通りにならないことがありました。
気持ちを発散するように、丸い形をバッと描いて、それに意味をつけていきました。
そうしたら、丸を複合化した紋様ができたのです。
紋様による繊細な表情をつくり、全体の形と組み合わせることで、イメージを表現できるようになりました。
無地の作品
今はこの丸の複合紋様や、直線を組み合わせた紋様を多くの作品に描いています。
将来は、紋様を描かない無地の器で「ダイナミックな形」と「繊細な表情」を表現したい。
釉薬をかけた無地の食器のほかに、無釉焼締での「形」にも挑戦したい。
作品に込めたメッセージを、お客さまに伝えていけるようになりたいと思います。
ダグラス・ブラック 陶芸家
陶芸家ダグラス・ブラックさんの工房を訪ねました。
ダグさんの工房は、「さけ」が遡上する南限といわれる那珂川サイドの山の尾根近くにあります。
ダグさん工房のテラスからは那珂川の清流が眺められます。
この川で捕れた桜でいぶしたさけの燻製をいただきました。
燻製ならではの香り、適度に発酵したよう深い味わい。
最高です。
このテラスからは夜は満天の星、
先日の春分の日には、幸運のとても大きな流れ星が見えたそうです。
ダグさんのとても良い笑顔と、すばらしいお話。
ありがとうございます。
■ 那珂川産さけの燻製
■ ダグさんのテラスと、賢いメイちゃん
■ ダグさん作品の一部です。
(少し画像処理しています)
■ ダグさんのポートレート
ダグラス ブラック (Douglas Black) 略歴
1967年 USA カンザス州ローレンス市に生まれる
1990年 CCADコロンバス芸術大学卒業
1992年 栃木県茂木町にて窯をつくる
1993年 ギャラリーYUSEI-SHA; 東京
1995年 “Vision-縄文精神との出会い” ギャラリーTRAX; 山梨県
“Parthenogenesis” アンビエントオペラ(舞台美術) 天王洲アイルアートスフィア
1996年 “土の音” (土のサウンドオブジェ・インスタレーション)
INAX XSITEHILL GALLERY ;東京
2001年 “Japanese Links”イギリス、セントアイヴィス
2002年 ギャラリー開;東京
2007年 ギャラリー陶庫;益子(2003,2001,2000,1992)
2007年 ギャラリー宇;松戸
ダグラスさんは栃木県茂木町、風光明媚な鎌倉山ちかく、
美しく蛇行する那珂川のほとりに工房を構え、
作陶のかたわらに梅干を作ったり、近所の皆様と力を合わせてアウトドアの共同風呂を作ったりと、
日本の生活を楽しんでおられます。
自然との一体感のある生活を映し出しているような、
そんな作品の数々をお楽しみ下さい。
南雲 英則 陶芸家
手づくりの土と釉
陶芸家 南雲 英則
Nagumo Hidenori
人類の軌跡とともに、土器から始まり、須恵器、陶磁器が製作されてきたように、生活の基本的な道具として器を製作する技術は、高度に積み重ねられてまいりました。
陶磁器製造技術の完成度は、意図したとおりのものが大量にコピー生産されている事実が物語っていると思います。
工業製品のように均質な材料・調合・加工による器がある一方、人が意図した合理性や機能性と、自然が持つ力を融合させた、自然な美しさをもつ器があります。
生活の豊かさや、うるおいを感じることができる器は、後者の作品が多いことも事実ではないでしょうか。
現在は材料製造・流通の発達により、全国どこでも簡単に陶芸材料を調達できます。
便利さ・安さ・速さを求めるこの時代にあって、自然の力を融合させることは、このような簡便さとは逆のものづくりになってしまうようです。
自然の力を融合させた陶器づくりに勤しむ陶芸家 南雲英則さんの、土づくり、釉づくりに手間をかけ、多くの自然要素を取り入れた作陶の様子を、半年に渡って見せていただきました。
てんちょうも、お手伝いしながら「手間」の一部を体験しましたのでご覧ください。
↑zoom↑良い灰釉になりますように。
笑顔とともに期待を寄せる陶芸家。
釉づくり
~地元のおいしい梨木を使って~
栃木県境に接する茨城県南西部特産「幸水」と「豊水」、甘さ・水分量・滑らかな歯ざわりが素晴らしいこの梨は、盛夏から初秋かけて収穫されます。
→発見!!いばらき『梨』
■ 燃焼準備
3月中旬、樹勢を整え、おいしい梨をつくるため、年末から3月にかけて剪定された梨の枝。
南雲さんの知人である梨農家の方の好意により集められた枝。手指のような細い枝から足の太さぐらいの幹まであります。
ここにある梨を全て焼き、釉薬の原料となる灰を採ります。今回燃やす枝の量は、写真の4~5倍あります。
一週間後にできあがる灰の量と比較してみてください。
↑zoom↑剪定された梨の枝
↑zoom↑燃焼準備中
↑zoom↑梨の枝と筑波山
↑zoom↑いよいよ着火。
生木なので空気を入れながら新聞紙を使って根気よく。
↑zoom↑燃焼する量をまとめているところ。
不純物になる綴じた紐は丁寧に外します。
有害物質発生を抑えるためにも。
■燃焼中
生木とはいえ、一度火がつくと一気に火勢が強くなります。燃え具合をみながら、枝を追加してどんどん燃やします。
黒く炭化した枝はさらに燃えると、真っ白な灰に変化します。
この日は曇天でしたが雨が降ることもなく、風もなくて安全に作業ができました。
今回準備した梨木全てを灰にするには二三日燃やして、その後熾火が数日くすぶるので、灰の回収までには最短でも一週間はかかります。
↑zoom↑最初はちろちろと燃えています。
↑zoom↑瞬く間に火勢が強くなります。
↑zoom↑燃え進むと真っ白な灰に。
加藤唐九郎※1は、昭和四十年ごろまでは人に頼んで風呂や火鉢の中の灰を集めてもらい、これに泥を混ぜて釉薬として使っていました。
このころになると石油や電気の暖房の普及などで灰が集まらなくなり、それまで黄瀬戸※2がうまくいっていたのに、それが思うに任せなくなったと、書き残しています。
※1 かとう‐とうくろう 【加藤唐九郎】
陶芸家。愛知県生れ。桃山時代の陶芸の研究・再現に努め、卓越した技量を示した。(1898 1985)
※2 き‐せと【黄瀬戸】
桃山時代、美濃で焼かれた黄色い釉(ウワグスリ)のかかった陶器。銅釉による緑色の斑文や陰刻の文様を施したものが多い。
■灰を採る
山のようにあった梨木から、30kg米袋2個弱分の白い灰が採れました。一般に灰の量は、元の量の1000分の1~1000分の3程度になってしまうそうです。つまり1000kgの材木から採れる灰は1~3kg程度になるということです。
採れた灰が30kgとすると、梨木を10t程度以上燃やしたことになります。
↑zoom↑梨木が灰になりました。
↑zoom↑回収した灰はこれだけ。30kg米袋2個弱分
↑zoom↑
灰は完全に消火するため
少量の水を加え、
コンテナで混ぜ合わせます。
↑zoom↑てんちょうもお手伝い
■水簸(すいひ)
水簸とは、灰を水に入れると粗粉や砂は沈み、細粉は中間層に、軽いゴミやカスは浮くことを利用した、砂・カス・ゴミなどの不要物を分離し、除去する作業方法です。
↑zoom↑【写真-1】
【写真-1】
【写真-2】
【写真-3】
梨灰をポリ容器に入れ、水を加えます。
↑zoom↑【写真-2】
↑zoom↑【写真-3】
【写真-4】
回収したままの灰は、燃えカス、ゴミに砂などが混ざっています。
浮いたカスやゴミを手で取り除きます。
↑zoom↑【写真-4】
【写真-5】
【写真-6】
よく攪拌して40番メッシュの篩
(40番メッシュ:1インチ=25.4mmあたりの目の数40のふるい) にかけます。
一回目の荒いカスや砂を取り除きます。
↑zoom↑【写真-5】
↑zoom↑【写真-5】
■灰汁(あく)抜き
水簸した後の灰は、灰汁抜きする必要があります。灰汁とは水溶性アルカリのことです。
良質な釉薬を得るためには、これを充分に取り除く必要があります。
灰はそのなかに含まれる酸化カルシウムなどのアルカリ分を釉薬に必要な媒溶剤として用いるのですが、水溶性アルカリは釉薬の縮れ(ちぢれ)や濁り(にごり)の原因となるため、何度も攪拌(かくはん)と水簸(すいひ)を重ね、ヌメリがなくなるまで灰汁抜きをおきないます。
【写真-7】
ヌメリを確認しながら攪拌と水簸を繰り返します。梨灰は比較的灰汁が少ないため毎日繰り返し、ヌメリがなくなるまで1~2ヶ月ほどかかります。藁灰などでは半年以上かかることもあります。
↑zoom↑【写真-7】
【写真-8】
ヌメリの消えた灰を農業コンテナに古シーツを敷き、灰を流し込みます。
↑zoom↑【写真-8】
【写真-9】 (写真は藁灰です)
一年ほどかけて灰を自然乾燥させます。できあがりの梨灰です。これを釉薬の原料として、長石や珪石や酸化金属などを調合します。
↑zoom↑【写真-9】
土づくり
~削りくずなどの再利用と足練り~
ロクロなどで成形した後には、高台や紋様などを仕上げるために土の削りくずが出ます。
削りくずはそぎ落としたものですから、そのまま捨ててしまうにはもったいないものです。
土づくりは、人間国宝の濱田庄司先生や島岡達三先生がおっしゃいますように、陶器の力強さを求めるには重要な要素となっています。
今では、足練り作業は土練機(どれんき)によって機械化されています。 南雲英則氏も土練機を使うこともありますが、足練りにこだわり、できるだけ人力での作業を続けています。
■土の再生
【写真-10】
削り作業などで出たくず土を、三日間天日干します。
↑zoom↑【写真-10】
【写真-11】
【写真-12】
充分に乾燥しもろくなった土を、ポリバケツに移して水に浸します。
↑zoom↑【写真-11】
↑zoom↑【写真-12】
【写真-13】
粘土状になるように力を込めて攪拌します。
↑zoom↑【写真-13】
【写真-14】
40番メッシュの篩を使ってゴミや砂を取り除きます。
↑zoom↑【写真-14】
【写真-15】
【写真-16】
【写真-17】
布を敷いた素焼の鉢に移し、ゆっくりと水分を抜きます。
↑zoom↑【写真-15】
↑zoom↑【写真-16】
↑zoom↑【写真-17】
■土練り
土練りは、土を適度な柔らかさに整えたり、均質にしたり、空気を抜くための大切な工程です。
陶芸家にとっては、土の扱いを身体で覚えるための修練でもあるようです。
【写真-18】
適度に水分が抜け、耳たぶくらいの硬さになった土。
↑zoom↑【写真-18】
【写真-19】
いくつかの鉢から取り出した土が均質になるように、空気を抜くことを意識しながら足で練りこみます。
↑zoom↑【写真-19】
【写真-20】
南雲氏の足練りは美しいです。
↑zoom↑【写真-20】
【写真-21】
もう一度土を塊に戻し、この作業を数回繰り返します。
↑zoom↑【写真-21】
【写真-22】
てんちょうの足練りはこんな感じです。
↑zoom↑【写真-22】
【写真-23】
最後に手でまとめます。
この後ロクロなどで成形する前に、手を使って荒揉み、捻じ込み(菊揉み)して土が仕上がります。
↑zoom↑【写真-23】
南雲 英則さんは、大学卒業後すぐに益子の製陶所で陶工の道に進まれました。
益子から生まれ育った栃木県小山市(同市の益子やから自転車でも行けます)に戻り、築窯・独立されました。
南雲さんの粉引は、ほんのりと緋色を帯びた味わい深い景色となっております。
純和風でありながら、洋風料理のアレンジにもお使いいただける味わい深い器となっております。
釉薬は、近隣特産の「梨」などを用いて、土灰を水簸・灰汁抜きから自作。
ガッチリした体躯 を使って、土と火と木の織りなす、自然との一体感を重視した制作活動をされています
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南雲 英則
Nagumo Hidenori
? 1973年 栃木県小山市に生まれる
1991年 栃木県立栃木高等学校卒業
1998年 早稲田大学社会科学部卒業
1998年 益子で陶芸の道へ
2002年 小山市に築窯、独立
現在に至る
大塚 健一 陶芸家
味わいの秘訣
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大塚健一さんは、益子伝統の土と釉薬を使い、多様な作品を精力的に制作されています。
手になじむ感触、多彩な形、使いやすくて長く付き合える器。
益子焼伝統の釉薬を駆使されている大塚さんの作品に触れようと、やきもの販売店が立ち並ぶ益子町メインストリートに程近い工房を訪ねました。 大塚 健一 略歴
1948年 益子町に生まれる
1966年 佐久間藤太郎氏に師事
1973年 築窯独立
1984年 伝統工芸新作展入選・県芸術祭入選
1985年 伝統工芸新作展入選・県芸術祭入選
1988年 88’国際陶芸展銀賞
1990年 90’国際陶芸展入選
1991年 日本民藝館展入選
1992年 第39回日本伝統工芸展入選
日本民藝館展入選
1994年 伝統工芸士認定
日本民芸公募展最優秀賞
1995年 第42回日本伝統工芸展入選
日本工芸会準会員
1996年 大滝村第2回北海道展金賞
2001年 栃木県伝統工芸品作品展 優秀技術賞
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蝋抜き ~紋様のマスキング~
紋様の蝋抜き(ろうぬき)作業を見せていただきました。
蝋抜きとは、釉薬をかけたくない部分に蝋を塗り、その後に釉薬をかけ、抜きの部分を作ることです。
蝋は、市販のロウソクを湯煎しながら溶かします。塗りやすくするために溶かした蝋に灯油を混ぜて、釉薬をかけたくない紋様の上に、筆を使って塗り込みます。
写真-1
紋様の上に蝋を塗る作業です。蝋を塗っている方は大塚さんの奥様です。
蝋によるマスキング処理をしてから、紋様以外の部分に釉薬をかけ、窯で焼成すると蝋は燃えてなくなり、同時に釉薬はガラス化して皮膜を作るというものです。
写真-2
大塚さんが蝋でマスキングされたものに釉薬をかける作業をされています。
蝋抜きは、織物の染色で使われる「糊置(のりおき)」と同様の技法によるものです。
最近は蝋の代わりに取扱の容易な糊(陶画糊)を使うことがあるようですが、大塚さんは伝統的な方法で作業されています。
写真-1
蝋を筆で塗りこみます。蝋を温めての作業なので夏場は大変です。
写真-2
蝋抜き部分と釉薬部分の掛け分けは、手間が掛かります。
甕やバケツの中身は
大塚さんの工房には、たくさんの甕(カメ)やバケツが並んでいます。
これが大塚作品の源泉のひとつなのです。
写真-3
この甕やバケツには何が入ってているのか、気になります。
この甕やバケツのいくつかには、水に浸された「灰」が入っています。
灰は「灰釉(はいゆう)」、「糠白釉(ぬかじろゆう)」、「青磁釉(せいじゆう)」など、益子焼でよく使われる釉薬の主な成分となります。
灰の性質が釉薬の仕上がりに大きな影響を与えます。
灰は、木材を燃やしたものです。
同じ種類の植物でも育った土壌により、釉薬の性質に影響を与えるほど微妙なものです。
伝統的な益子焼は、土灰(どばい)と呼ばれる台所のかまどや、炉端(ろばた)からでる灰を原料としていたのです。
現代の生活では、ガス・石油・電気に取って代わっていますので、手に入れ難いのですが、大塚さんは人づてや専門業者から入手されています。
土灰は、様々な木材が燃料として用いられたものですので成分はその都度変化します。
このため、土灰は使う都度、他の成分との調合を決めるために、試し焼きをおこないます。
写真-4
左の灰色の陶片と真ん中の淡い水色の陶片はテスト過程のものです。つくりたかったものは右の鮮やかな青緑の陶片です。これは「益子青磁」といわれる独特の青磁釉です。
大塚さんはこの土灰を釉薬として使うために、水簸(すいひ)し、長い時間をかけて灰汁抜きをしてから、釉薬の調合をしています。
水簸は、バケツに張った水に土灰を入れて溶かし(写真-5)、水に溶けた土灰を柄杓(ひしゃく)ですくい、細かい目の篩(ふるい)に掛けて粗目の土灰や砂などを取り除きます(写真-6)。
10kgの米袋一杯の土灰を濾した後の灰は、ポリバケツの底から1~2cm程度しか取れません。益子焼は釉薬をたっぷりと掛けるので、充分な量を得るまでこの作業を何度も繰り返します。
写真-3
甕やバケツの一部です。この中はいったい何でしょう。
写真-4
釉薬の調合には、テストが欠かせません。
写真-5
土灰を水に溶かします。
写真-6
細かいメッシュの篩にかけます。濾した後の灰はわずかです。
大切な灰汁抜き
このように、並んだ甕やバケツには土灰が水に浸され、使われる時を待っています。
でもこのままでは釉薬として使うには不充分なのです。
写真-7
沈殿している土灰を触らせていただきました。
土灰は粘土状になって、沈殿しています。
ヌメリのある滑らかな手触りです。
土灰に含まれるカリウムやソーダは釉薬としては必要なのですが、水に溶け出るようなカリウムやソーダは、除く必要があるので灰汁(あく)抜きをします。
灰汁抜きは、沈殿した灰を攪拌します。落ち着いて灰が沈殿し、分離した上澄みの水をすくい取り、また水に浸す。この作業を何度も繰返し灰汁を抜くことです。
ヌメリがほぼ無くなるまで繰り返します
時間をかけて灰汁を抜くと良いものができるため、一年もの間、灰汁抜きをすることもあるそうです。
灰汁抜きが不充分な場合は釉薬が濁ったり、縮れたりします。
水中の重たい灰を攪拌し、水簸を繰返すのは、骨が折れることでしょうが、きちんと灰汁抜きした土灰こそが美しい釉薬のもとになるのです。不思議なものですね。
写真-8
窯入れを待つ蝋抜きし、釉薬をかけた作品
写真-7
灰汁抜き中の土灰は独特のヌメリがあります。
写真-8
釉薬と蝋をかけて、焼きを待ちます。
味わいの秘訣
写真-9
窯から出した直後。生まれたてのまだ温かいやきもの。紋様が浮かび上がり、釉薬が艶を発しています。
現在は取扱が容易な人工灰があるなかで、入手が難しく、長期間かけて灰汁抜きし、手塩にかけた灰釉。
調合とテストを繰り返し、その灰釉の特性を見極めてから、初めて作品に施す釉薬。
使う都度変化をし続ける釉薬へのこだわりが、一品一品手作りの味わいをつくる秘訣の一端ではないでしょうか。
写真-10
大塚さんはいつもほがらかで、奥様と仲むつまじく作業されています。
初代人間国宝の濱田庄司(浜田庄司)先生が、
「誤りなくつくられた物、正しくつくられた物、適切につくられた物、健(すこ)やかな物、これが美の成分です」
といわれていることを、大塚健一作品を通して垣間見るような気がいたします。
写真-9
できたての器がきれいに輝いてます。
写真-10
工房ギャラリーの前でパチリ。取材ご協力いただき、ありがとうございます。
益子や 後記
取材後工房を訪ねたとき、ロクロ引き立ての、男性二人で抱えるほどの大皿を見せていただきました。
注文や個展制作のお忙しい合い間に作られたそうです。
てんちょうには、乾燥中の大皿と大塚さんの笑顔が「作陶が好きだからね」と語っているように見えました。
さてこの大皿にはどのような釉薬がかかるのでしょう?
ユアン クレイグ 陶芸家
器は料理とともに
ユアン クレイグ(EUAN CRAIG) 略歴
1964 オーストラリア、メルボルンに生まれる。
1978 十四歳のときベンディゴで陶芸に出会う。
1981 オーストラリア、ベンディゴT.A.F.E.カレッジ卒業、アート&デザイン専攻。
1984 カメル・キルン コンクールにてカメル・キルン賞を受賞。
1985 ラトローブ大学(ベンディゴ)を卒業、陶芸学部専攻 文学士を修得。
1985 オーストラリア、スワンヒルに窯を設ける。
1990 日本に渡る。
1991 島岡達三師の門下となる。
1994 栃木県益子町に薪窯を築てる。
2000 栃木県市貝町(益子町の隣町)に転居、窯築。現在に至る。
日本、オーストラリア、イギリスにおいて、数々のグループ展や個展、ワークショップやサマースクールの講師、美術協議会やフォーラムに出席参加などの活動を行っている。
オーストラリアとアメリカ合衆国にて発行の陶芸雑誌に数回記事を書き、掲載される。
ユアンさんは、栃木県芳賀郡市貝町、八溝山地の西端にたたずむ、築八十余年の古民家に工房を構え、日本人の奥様と四人のお子様とともに、豊かな自然に包まれた作家生活を送られています。
ご近所の皆さんからは「オージィオヤジ」と呼ばれ、滑らかな日本語で気さくに話してくれる、陶芸家ユアン クレイグさんの「オーストラリアから益子につながる道のり」、「陶芸への取り組み」そして、「器に対する思い、作陶のよろこび」についてお話を伺いました。
益子での独立
陶芸との出会い
私は十二歳までオーストラリア・メルボルンで過ごし、その後百五十年あまりの歴史を持つ陶芸の町ベンディゴ*1へ移り住みました。
益子に良く似た陶土が採れるベンディゴでの陶器製造は、金鉱採掘者が副業的に始めたのが起源です。
父を早くに亡くし、姉の罹患そして、自身も病弱だったこともあり、仕事は体を使い、同時に鍛えられることを選びたいと考えていました。
そこで、やりたい仕事をリストアップし、条件に合わないことをひとつずつ消していったら、最後に残ったものが陶芸だったのです。このとき、私は十四歳でした。
[益子や:仕事で体を鍛える目的は充分に果たされ、今のユアンさんからは病弱な少年時代は想像しにくいです。]
このころ、友人の紹介でベンディゴ在住の陶芸家ギャリー ビッシュ先生と出会い、彼の指導を受けながら陶芸家への第一歩を踏み出したのです。
十七歳のときには、老舗のベンディゴ陶芸場(Bendigo Pottery)で、観光客向けに、ロクロ実演のアルバイトをしていました。
大学で専門的に陶芸を勉強したのち、スワンヒルで四年間にわたり自分の窯を持ちましたが、大学の講師をされていた瀬戸浩*2先生の影響もあって、伝統工芸と現代工芸のどちらも勉強できる益子に興味を抱いていました。
国際的にも陶芸のメッカとして名高い益子。
濱田庄司*3先生や、バーナード リーチ*4先生ゆかりの、その地で挑戦したいという気持ちが大きくなっていきました。
島岡達三先生
益子では島岡達三*5先生に弟子入りしました。
島岡製陶所の職人さんと作業をともにするには、 日本語でのコミュニケーションが不可欠です。
ロクロを引くときも「今日の漢字」みたいにしてメモを置き、一生懸命覚えました。読み書きもできなければ一人前として認められないと思ったからです。
修行は、島岡先生の指示を忠実に守ることに専念しました。「習うより慣れよ」です。ここで修行する者は、「教そわると言うより、弟子がおのずと学ぶ」という姿勢でした。努力してがんばれば、それを認めてくださる。
職人さんたちも親切に教えてくれました。しかられる事もあったかもしれませんが、当然のことです。
修行は大変良い勉強になりました。
オーストラリアでの作陶は、美術性よりも早く、安く、安定した品質のものを作ることが重視されました。一時間に何個引けば、一日でマグカップを三百個作れる。というように、時計とにらめっこしながらの仕事をしていたのです。
島岡先生のもとでは違いました。
オーストラリアを含め西洋の蹴ロクロ(けろくろ)は左回りでしたが、益子の蹴ロクロは、手前に手繰るように蹴って回転させるため右回りなのです。
右手が利き手の場合、左回りのロクロは利き手が器の外側になりますが、右回りでは利き手が内側になります。
それまでの十二年間、左回りのロクロで引いていた癖があり、思うように引けないのです。
それを後ろで見ていた島岡先生が静かにおっしゃいました。
「大丈夫ですよ、逆回しでいいよ」
ここでは速く作ることよりも、高い質のものを作ることが大事なことでした。
益子の蹴ロクロは、静かにからだ全体を使って回します。
益子での独立
当初は、益子で二年間勉強するつもりでいました。その後イギリスやアメリカにも行きたいと考えていました。
しかし、益子で修行するうちに、「勉強しただけでは充分ではない」と考えるようになりました。
この益子で独立して、さらに同業者に認めてもらうこと。それではじめて日本だけでなく、日本以外でも通用する一人前の陶芸家になれるのではないか。
作品である器は、使う人・見る人に対して、私の代弁者となって語りかけてくれるものと考えています。
納得のいく作品ができるようになり、そしてこの益子で認められるまで、海外での展覧会を開こうとはしませんでした。
一昨年(2004年8月)、来日依頼初めて十五年ぶりにオーストラリア・シドニーの”Ceramic Art Gallery“で、個展を開くことができました。
個展会場に来たオーストラリアの高名な作家が話してくれたのですが、「日本で勉強した人が、帰国後に作陶したもので展覧会を開くことがあっても、日本で作陶したものを持ち込んで展覧会を行うのは、おそらくユアンさんが初めてだろう」
*1ベンディゴ (Bendigo)
オーストラリア南東部、ビクトリア州中西部、メルボルンの北西方約150kmにある都市。人口8万5000。農牧地帯の地方中心都市。1851年の金鉱発見により金鉱都市として急成長し、金鉱衰退後も地方中心都市として発展してきた。金鉱都市時代以来の建物や並木が残る。
*2瀬戸浩
1941~1994。徳島生まれ、京都市立美術大学卒。先輩の加守田章二を頼って益子に築窯。72年に大学講師として渡米。ストライプをモチーフにした自由な造形の作品を手がける。日本陶芸展外務大臣賞受賞。
*3濱田庄司 (浜田庄司)
1894~1978。神奈川生まれ。東京高等工業学校(現東京工業大学)卒。富本憲吉、バーナード リーチと出会い英国で作陶。帰国後、益子に築窯し、柳宗悦、河井寛次郎らと民藝運動に参画。素朴で健やかな、力感あふれる暮らしの器づくりに励んだ。55年第一回重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。
*4バーナード リーチ
1887~1979。英国の陶芸家。濱田庄司、柳宗悦らと親交を結び、民藝運動に協力。東洋・西洋の和を求めた作風を確立した。
*5島岡達三
1919~。東京生まれ。東京工業大学卒。濱田庄司に師事。栃木県窯業指導所勤務を経て、53年益子に築窯。国内のみならず、カナダ、アメリカ、イギリス、ドイツなどでも個展を開催し、ワークショップや講義で日本の民陶を伝える。96年に縄文象嵌にて重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。日本民芸協会常任理事。
↑zoom↑島岡先生とのツーショット
↑zoom↑やきもののまち益子
旧濱田庄司邸宅(陶芸メッセ内)
全ては料理を楽しむ器のために
器を作るということ
日本は良質な食材を使った多彩な調理方法により、様々な美味しい料理がいただけます。
西洋ではひとつの器に、いろいろな料理を盛り付けますが、日本ではひとつの器に、ひとつの料理を盛り付けます。それはいいなぁと思います。
料理をより美しく、より美味しくするための器は、丈夫で使いやすく、安全で美しさを兼ね備えたものでなければなりません。
個性的なものを作ろうとすると、「わざとらしく」なりますが、自分にとって美しいものを造ろうとすると、その作品は自ずと個性的になります。
エコロジーな薪窯の開発
~どうしても薪窯にしたかった~
薪窯では、薪が植物として地面から吸い取った鉱物が灰となって、自然な釉薬となるのです。
私がかけた釉薬だけではなく、自然がつけてくれる釉薬とあいまって、自然と協力して生み出す作品がどんなものになるのか。窯出しまでわからない。
何が出てくるかな。ワクワクするんですよ。
しかし、伝統的な薪窯では、少なくとも三日間焚き続け、多くの薪を使います。数人で交代しながらの窯焚きは、とてもひとりで行うことはできません。
私には、ひとりで焚ける薪窯が必要でした。
何度も窯を設計し、作っては試し、ようやく満足のいく薪窯ができました。
この窯は素焼きもせずに、生素地(なまきじ)の状態で窯に入れ1300℃まで上げて、十四時間で焼締め、灰を被って光沢が出ます。
薪は少量で済みます。軽トラック一台分(約400kg)程度の薪で焼け、効率が良いので廃材が使えます。
この薪窯はひとりで短時間に焼けるし、薪の消費も少ないので経済的です。環境にやさしいものとなりました。
以前、市貝町の古い消防署を解体した廃材を使わせてもらいました。そのときは、薪に残っていた古釘の鉄分もあって良い味が出ました。
土と釉薬の妙
この作品のように赤みを帯びた部分は、イ草が燃えた瞬間に出た塩分やカリウムがガス化して、磁器土の珪石(けいせき)と結びついたものです。
イ草を使った狙いは、繊細な線を出したかったからです。
備前焼では火襷(ひだすき)として、藁(わら)に塩水をかけたりして使いますが、線が太くなります。
イ草は塩水などで前処理をしなくても、天然のままで効果が出ます。
この線を見てください。淡い金箔のような黄色の線は黒い鉄釉の第一酸化鉄と、イ草のおそらくチタン(分析すれば証明されると思われる)が反応したものでしょう。
この黒は、漆のような深みと、透明感のある漆黒(しっこく)を出したかった。
益子で採れる芦沼石(あしぬまいし)を原料にした柿釉(かきゆう)は、表面に鉄分が浮き出して朱色が出るのですが、一般に益子の黒釉は、この柿釉をベースに長石や土灰を入れて鉄分を薄めることにより黒が出てくるのです。
透明度の高い深い黒を出すために、益子の黒釉より不純物の少ない中国の天目釉(てんもくゆう)に近い、長石ベースの鉄分だけで黒を出しました。
この釉薬をかけて、薪窯で還元焼成と酸化焼成を繰返すことで、折り重なるような深い漆黒が生まれます。
貫入
漆のような黒釉の特徴を出すために、できるだけ貫入が入らないようにしました。同じように青磁にも黒釉と同じ質感が欲しかった。
貫入は焼いたときに、「土よりも釉薬が縮み」そのストレスで釉薬にひびが入ります。貫入を少なくするため、土と釉薬の縮み具合を合わせる工夫が必要になりました。
中国の青磁は、少量の鉄分(2%程度)で作られていますが、このままで使っている土に合わせると、貫入が入ってしまいます。また、益子の青磁は酸化銅を使う緑がかかったもので、今回欲しいものではありません。
釉薬のガラス成分である珪石(けいせき)と長石を減らし、その代わりに磁器土を入れて、土と同等の重量比になるようにしました。
釉薬のガラス成分と、土のガラス成分が同等の重量比になるようにしたのです。さらに鉄の分量も増やし、柔軟性を与えることで貫入が少ない器を作ることができました。
ユニバーサルデザイン
このマグカップの取っ手を見てください。左利き用と右利き用があります。
他に急須も左利き用のものを作っています。
私自身、左利きが入っているようで、右でも左でも文字が書けるし、コップを取ろうとするとき左手が出ます。
日本では矯正されることがありますが、世界の人々の約三割は左利きだと言われています。
なのに、左利きの急須は見たことがない。
オーストラリアでは左利きのための専門店があります。需要があるのです。
急須は十個のうち、三個は左利き用を作っています。お客さんも喜びますよ。
陶板作家の藤原郁三*6さんは、左利きなのですが、この急須を見せたら「ああ良いね、コレ!」、自分でも作れば良かったと。
器は、大きく三つの要素からできています。
1.鉱物の、土や釉薬
2.植物の、薪や灰
3.動物の、作り手としての人
マグカップの取っ手の先を見てください。点線模様が延びて、その先に鳥の「羽根」が飛んでいます。全ての器にあるわけではないが、この羽根は動物の美しさの象徴としてデザインしています。
器によっては「羽根」だったり、「海老」もあります。
デザインはあらゆる方向から見てください。
全体的にデザインしていますから、表も裏もありません。自分が使っているときも、それを見ている周りの人から見ても楽しい。というように意識しています。
飲み物を飲んでいるときには、周りの人からはカップの底(高台内)が見えるでしょう。
身の回りにある自然、例えば木の葉を見てください。表と同じように裏も美しいでしょう。遠くから見ても、近くから見ても美しい。
作品も同じようにしたい。これはとても大事なことなのです。
↑zoom↑器と料理のコラボ、食べたいな
↑zoom↑エコロジーな薪窯
↑zoom↑イ草の模様、天然の妙
↑zoom↑漆黒の釉
↑zoom↑貫入の少ない青磁
↑zoom↑マグの取っ手、右利きと左利き
藤原郁三*6
1946~。大阪生まれ。東京芸術大学卒。河合紀に師事。75年益子にて独立。陶壁、陶板や建築資材などを制作。新制作・スペースデザイン新作家賞受賞など。
http://www.ikuzo.com/
↑zoom↑動物の象徴「羽根」や「海老」
↑zoom↑デザインされたカップと湯呑みの底(高台内)
作陶のよろこび
自然との調和
土をこね、ロクロを引き、釉をかけ、イ草をかけて丹精を込めた後、窯に入れます。薪に火が入ると自然任せになります。
焼き始めると、炎が自ら燃えようとします。私は薪をくべてその手伝いをするのです。
土をこねます。そのリズムは自然の律動に合わせ、土と一体になってもみこみます。土が折り重なる花びらのようになって、菊もみに仕上げていきます。
ロクロを回しているときは、遠心力、摩擦や重力が働いています。自然と対話をしながら形を仕上げていきます。
土には形がないから、その力に合わせようとします。
土が形になりたがっています。
飛び鉋(とびかんな)は、ロクロを回しているときの回転速度と、土の固さと、鉋の当たり具合によって、刻み目が跳んでいきます。
このときの模様は、目で見て手加減しているのではなく、「ルルル・・・ルルル・・・ルルル・・・」という音の規則正しい、微妙な強弱を聞きながら、「この調子、この調子」と願いを込めて、一発勝負をしています。
ロクロを引いて作品を板に置き、それらを棚にさしていくと、蜂の巣のように規則正しく並びます。これは機械的なものではなくて、自然に出てくる美しさとなります。
人は自然の一部ですよね。だから人は自然と折り合い、一緒に暮らしていくべきなのです。作家の役割は、自然の力を引き出し、ガイドすることです。
自然の素材がどういう方向で美しく、役に立つものになれば良いのか、作家が意識付けして作り込んでいくと、器が素直(すなお)な形となって出てきます。
私はこんなふうに、自然と人の力を合わせた作陶ができればいいなと思っています。
一生の仕事
昨日窯出ししたばかりです。
良い仕上がりになりました。展覧会に出したいような出来だけど、次に作りたいもののイメージがあります。
次も楽しみですよ。今すぐにでもロクロに向かいたい。
お金持ちになりたいとか、未来の自分を思い描くよりも、充実した日々を過ごしたいのです。
私の作ったパンやケーキをこの器に盛り付けて、縁側で妻とふたりでいただきながら、庭で四人の子どもたちが遊んでいる。このような生活が目標です。
こういう健康な生活を、死ぬまでずっと続けて行きたい。
毎日器を作って、九十歳まで仕事をしたい。そして九十歳になったら、趣味として陶芸をやろうかなと思っています。
あせらずに、自然とともに一歩一歩積み重ねながら作品を作ることは、日々のよろこびと、自身の成長を感じることができるのです。
やりがいがあります。
私が亡くなって数十年、数百年ののち、私を全く知らない人がこの器を使って、一杯のお茶を飲んでいるかもしれません。
その人が「あぁ、幸せだなー」と思ってくれれば、それは本当の成功となるのです。
zoom↑棚に並べた、美しい
↑zoom↑イ草をかけた、さてどうなるかな
↑zoom↑窯に薪をくべる、真剣勝負
↑zoom↑うれしい窯出し
益子や 後記
ユアンさんのご自宅でお話を伺いながら、緋色の小皿に盛られた手作り抹茶ケーキをいただきました。
素朴な味わいで大変美味しかったので、お母様直伝のレシピを教えていただきました。
料理が趣味のユアンさんは、シーズンには栃木特産のイチゴと、ホイップクリームをのせたり、抹茶の代わりに栗やクルミ、バニラエッセンスを入たりしてバリエーションを楽しんでおられるそうです。
バター、玉子、牛乳を合わせた合計が250ml※になるようにする
※:日本の計量カップは200mlですが、オーストラリアでは250mlが一般的なのだそうです。
<作り方>
1.①の薄力粉、砂糖、ベーキングパウダー、抹茶をよく混ぜます。
2.②のバターを溶かし、玉子と牛乳を加えてよく混ぜます。
3.型の内側に少量のバターを塗り、その上から少量の薄力粉を型にふるいかけます。
4.①と②の材料を混ぜ合わせたものを型に流し込み、180℃に熱したオーブンに入れて40分間焼き上げます。
「ユアン」ケーキをバニラで作ってみました。
素材を生かした味わいが楽しめます。
定番になること請け合いです。