図書館で資料を見ていたら、益子最大の陶器製造・販売業者「つかもと」の昭和四十年ごろの写真を見つけました(出展:益子町史 第五巻窯業編)。
このころから、外部者の新しい窯元、いわゆる作家窯がたくさん開窯したようです。
「つかもと」自体は、懐かしい信越線横川駅の名物「峠の釜飯」の釜の製造(益子全体で15万個/月)を行っていたこともあり、隆盛であった時期のようです。
この写真、現在の「つかもと」の面影がありますので、近く益子を訪れた折に比較写真を撮ってきたいと思います。
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図書館で資料を見ていたら、益子最大の陶器製造・販売業者「つかもと」の昭和四十年ごろの写真を見つけました(出展:益子町史 第五巻窯業編)。
このころから、外部者の新しい窯元、いわゆる作家窯がたくさん開窯したようです。
「つかもと」自体は、懐かしい信越線横川駅の名物「峠の釜飯」の釜の製造(益子全体で15万個/月)を行っていたこともあり、隆盛であった時期のようです。
この写真、現在の「つかもと」の面影がありますので、近く益子を訪れた折に比較写真を撮ってきたいと思います。
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This entry was posted on 2006年12月2日, 8:00 PM and is filed under 益子焼. You can follow any responses to this entry through RSS 2.0. You can leave a response, or trackback from your own site.