引出物
ひきでもの
出典:平凡社
宴会に当たって招待した客に主人から贈る物。〈ひきいでもの〉ともいう。古くからの習俗であるが,《江家次第》の大臣家大痢に〈引出物 馬各二疋〉とあるように,平安中期以降の貴族たちの大痢に当たっては,ふつう馬が引き進められたが,鷹や犬,あるいは衣類も用いられている。武家の場合,源頼朝が1184年(元暦1)平頼盛を招待したとき,刀剣,砂金,馬を贈っており,刀などの武具がこれに加わる。こうした引出物とされた物からみて,この行為は本来,みずからの分身ともいうべき動物,物品を贈ることによって,共食により強められた人と人との関係を,さらに長く保とうとしたものと思われる。また貴人を迎え,3日間にわたって痢宴を行う三日痢,三日厨(みつかくりや)の慣習もひじょうに古くさかのぼるものと思われるが,そのさいにも引出物が贈られた。《今昔物語集》の〈芋粥〉において,五位を迎えた利仁将軍が,綾,絹,綿,馬,牛を贈ったのもその例になるが,荘園公領制下,検注,勧農,収納のために下ってくる預所(あずかりどころ)などを迎える三日厨のさいの引出物は,公事(くじ)として現地の人の負担とされた。1190年(建久1)備後国大田荘では,郡司,預所に対する一任一度の引出物として,下司たちが1人別6丈布3反を負担し,1239年(延応1)伊予国弓削島(ゆげしま)荘でも,預所に対し,3年に1度の引出物として布1反が在家(ざいけ)別に賦課され,鎌倉後期,それは名(みよう)別の公事になっている。《沙石集》には,孔子(くじ)によって相手を定め,引出物をさせると,身の災いを免れうるという俗信の話が収められており,引出物の呪術的な効果が,なお期待されていたことを知りうる。しかし中世後期以降,それは通常の贈物ととくに変わらぬものとなっていったと思われ,戦国期の武将たちの間で行われた贈答品は,馬や鷹,太刀や弓矢等の武具一式など,鎌倉時代の引出物と同じものを基本とし,金,銭や扇,また鶴,白鳥,雁,鮭,別,鯉の魚鳥や,菜,昆布などの物産が,それに加えて用いられている。 網野 善彦
[民俗] 一般には引物(ひきもの)ともいい,特に土産(みやげ)にもたせるため膳に添えて出す肴や菓子の類を呼ぶ。今日ではことに婚礼披露の際の贈物に対していう場合が多く,慶事の品のようにみられがちであるが,法事などに出される土産の品も引出物の一つである。祝儀(しゆうぎ)や被物(かずけもの)との区別もあいまいであるが,引出物は痢宴に伴った贈物であり,菓子類など食べ物が多いのも,これを持ち帰らせてその家族などにも共食の効果を広げようとしたところに祝儀や被物との違いがある。⇒贈物 岩本 通弥
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